「関税という高い壁さえ作れば、自国の自動車産業と雇用は守られるはずだ」
欧州委員会(EU)が中国製電気自動車(BEV)に対して追加相殺関税の導入に踏み切ったとき、欧州の多くの政財界関係者は胸をなでおろしました。BYDに17.0%、吉利(Geely)に18.8%、上海汽車(SAIC)に至っては35.3%の追加課税が課され、標準輸入関税(10%)と合わせれば実に「45%超」という極めて厳しい参入障壁が完成したからです。
しかし、それからわずか数ヶ月後。欧州の自動車メーカー(OEM)の経営陣が目にしたのは、自国の庇護政策によって中国車が撤退する姿ではなく、さらに牙を研ぎ澄まして市場を侵食する、中国メーカーの脅威的な「超適応能力」でした。
さらに、この地政学的対立とインフレの波は、自動車産業のサプライチェーン内部に決定的な亀裂を生み出しています。コストの価格転嫁ができずに利益率を急降下させる「完成車メーカー」と、徹底したコスト管理で生き残りを図る「部品サプライヤー」の間で、財務パフォーマンスの“逆転現象”が起きているのです。
保護主義の裏側で、いまグローバル自動車産業にどのような構造変化が起きているのか。その真相に迫ります。
欧州がBEV(純粋電気自動車)に高率な相殺関税を掛けた瞬間、中国の自動車メーカーが取った行動は、不服申立てでも撤退でもありませんでした。それは「関税の網がかかっていない製品群への爆速のシフト」です。
中国メーカーは、これまで関税強化の対象外であった「PHEV(プラグインハイブリッド車)」の欧州向け輸出を一気に爆発させました。
データがその超適応の凄まじさを物語っています。高率関税が適用された後の市場において、中国からのBEV輸出が前年同期比94.6%増(19万8,300台)であったのに対し、PHEVの輸出は前年同期比152.4%増(10万6,000台)という異次元の伸びを記録したのです。
結果として、欧州市場における中国製BEVのシェアが22.0%から17.0%へと微減した一方で、中国製PHEVのシェアはわずか3.0%から13.0%へと急上昇しました。BEVに課された関税の打撃を、PHEVの爆発的な販売増で完全に相殺して見せたのです。
さらに、北米市場においても同様の動向が見られます。カナダ政府が中国製EVに対して低関税枠(EVAP)を設定した際、ボルボ・カーズがプレミアムEV「EX30ウルトラ」の希望小売価格を5万5,800ドルから4万9,000ドルへと即座に引き下げた事例は、政策の変動に合わせてメーカー側がいかに柔軟(かつ攻撃的)に価格戦略を再構築しているかを示しています。
中国メーカーの適応は、製品ポートフォリオの変更だけにとどまりません。彼らは従来の完成車輸出モデルから、欧州域内での「アセットライトな現地生産体制」の確立へと急速に舵を切っています。
BYDがハンガリーに巨大な完成車工場を建設していることは有名ですが、さらに狡猾なのは広州汽車(GAC)や小鵬汽車(XPeng)の動きです。彼らは巨額の自社工場を建てるリスクを避け、カナダの自動車部品大手マグナ・インターナショナルなどのメガサプライヤーと「車両委託生産契約」を結び、現地生産化を加速させています。
これは、域内での部品調達率70%以上を求める欧州の「産業加速法(IAA)」などの原産地規制をクリアし、関税を完全に無力化するための、高度に計算された地政学適応戦略なのです。
この地政学的対立とインフレの定着は、完成車メーカー(OEM)と部品サプライヤーとの力学関係にも大きな歪みをもたらしています。
長年、自動車業界では「完成車メーカーが強い交渉力を持ち、高収益を享受し、その下請けである部品サプライヤーが厳しいコストダウン要請に耐える」という構造が一般的でした。しかし現在、その構図に大きな変変が起きています。
| 指標・財務パフォーマンス | 2024年実績・基準 | 2025年〜2026年現在の水準 | 構造的変化と背景要因 |
|---|---|---|---|
| 中国製BEVのEU市場シェア | 22.0% | 17.0% | 相殺関税導入に伴う一時的なブレーキ |
| 中国製PHEVのEU市場シェア | 3.0% | 13.0% | 関税の隙を突いたPHEVシフトの超適応 |
| 大手OEMの平均EBITDAマージン | 約11.0% | 8.0%未満 | 関税コスト吸収、EV価格競争に伴う採算悪化 |
| 財務危機にあるサプライヤーの割合 | 31.0% | 24.0% | 徹底したコスト統制と価格適正化による改善 |
原材料価格の高騰や地政学的な関税コストを最終車両価格に転嫁しきれず、さらに中国勢との激しい価格競争に巻き込まれた主要OEMの平均EBITDAマージンは、2024年の約11%から、現在では8%未満へと急落しています。
一方で、部品サプライヤー側はどのような状況でしょうか。
パンデミック以降のサプライチェーン混乱を経験した部品メーカー各社は、不採算事業の売却、厳格な固定費削減、そしてOEMに対する強気の価格改定を実施しました。その結果、資金繰り破綻のリスクを抱える財務危機のサプライヤーの割合は、2024年の31%から2025年後半には24%へと改善しているのです。
「顧客である完成車メーカーの利益率が削られ苦しむ一方で、徹底した自衛策を講じた部品サプライヤーが手堅く利益を守る」という、歪んだ“財務的解離(共喰い)”が発生しています。
この解離は、部品メーカーとOEMとの間での価格交渉をかつてないほど緊迫させており、サプライヤー業界内での生き残りをかけたM&A(企業併合・買収)を再活性化させる最大の動機となっています。
欧州や北米の政策立案者が関税を壁として築いても、グローバル市場における競争の根本的な解決にはなりません。関税とは、既存の欧米日メーカーに対して「電動化とソフトウェアの遅れを取り戻すための時間」を一時的に買い与える「絆創膏」に過ぎないからです。
中国メーカーが関税の障壁をPHEVで軽々と飛び越え、委託生産によって欧州の「内側」に入り込んできているという現実は、以下の教訓を私たちに突きつけています。
自動車の関税合戦や通商摩擦のニュースを見ると、私たちはつい「国 vs 国」の政治的ドラマとして捉えがちです。
しかし、その実態は「変化の速いプレイヤーが、変化の遅い旧来の構造を塗り替えていくビジネスの生存競争」に他なりません。相殺関税という巨大な法的障壁すらも、わずか半年足らずでPHEVの波と現地生産アセット戦略によってバイパスしてみせた中国メーカーのスピード感は、既存の自動車産業の常識を遥かに超えています。
関税という「守られた壁の内側」で安息をむさぼるメーカーは淘汰され、激変する地政学的リスクを先読みし、柔軟に自らを変化させ続けられる組織だけが、2020年代後半のグローバル自動車覇権を握ることができるのです。