かつて日本のモータリゼーションを牽引した「技術の日産」。その象徴であり、創業の地・横須賀に位置する主力拠点「追浜工場」が、2027年度末にその歴史に幕を下ろすことになりました。
2025年7月、日産自動車が発表したこの決断は、単なる一工場の閉鎖にとどまらず、かつての自動車大国ニッポンが直面する構造的な危機と、産業都市が背負う十字架を浮き彫りにしています。
「世界17拠点を10拠点へ」。日産が打ち出した再建計画は苛烈なものでした。そのリストに、1961年の操業以来、日産の魂とも言える車種を送り出してきた追浜が含まれていたことは、経営陣が抱く危機感の裏返しでもあります。
経営側が提示した論理は冷徹かつ合理的です。
しかし、なぜ日産はここまで追い込まれたのでしょうか。その要因は、複合的かつ長期的な「戦略の不在」にあります。
業績悪化の根本原因は、「売れる車がない」というシンプルな事実に尽きますが、その背景には根深い病巣があります。
かつて日産をV字回復させたカルロス・ゴーン氏の拡大路線は、退任後に「猛毒」となって回りました。
かつてのドル箱市場であった中国での失速は致命的でした。
日産は2010年に「リーフ」を発売したEVのパイオニアでした。しかし、これが「イノベーションのジレンマ」を招きます。
ルノーとの資本関係見直し(不平等条約の解消)は、2023年にようやく達成されました。しかし、経営陣が長年「ルノーとの政治闘争」にエネルギーを費やしている間に、競合他社は「顧客」を見て車を作っていました。意思決定の遅れと社内政治の混乱が、商品力の低下に直結したと言えます。
追浜工場の閉鎖は、米国の「モーターシティ」デトロイトがたどった衰退の歴史を想起させます。
つい最近、『ロボコップ』の像が建てられたデトロイトですが、かつては1950年代に全米屈指の繁栄を誇った都市でもありました。
しかし、その後は『ロボコップ』の世界観が如く都市としては没落し、治安も崩壊します。あの映画はそのような背景があってこそのものでもあったのです。
デトロイトは以下のプロセスで荒廃しました。

横須賀市とデトロイトには決定的な違いもあります。横須賀には米軍基地や海上自衛隊関連の経済基盤があり、日産の研究所機能(R&D)は残留するため、デトロイトのような急激な都市崩壊は起きにくいでしょう。
しかし、「企業城下町」としての機能不全は避けられません。
日産追浜工場の閉鎖は、一つの時代の終わりであると同時に、日本の製造業が「過去の成功体験」と決別するための痛みを伴う通過儀礼なのかもしれません。
デトロイトは近年、荒廃したダウンタウンにIT企業やスタートアップを誘致し、長い時間をかけて再生の兆しを見せています。横須賀市、そして日産自動車に必要なのは、変化を嘆くことではなく、この「空白」を次の成長産業で埋めるための、迅速かつ創造的なアクションです。
かつて追浜から世界へ名車が送り出されたように、この地から「次の産業の芽」を育てられるか。2027年に向けて、企業と自治体の真価が問われています。